IT業界には、「3年ひと昔」って話があった。
3年も経てば、技術も、開発環境も、仕事のやり方も変わってしまう。昨日までの得意技だけで食っていけるとは限らん。
わしらITエンジニアは、仕事で手を動かしながら、業務時間外でも勉強を続けんと、あっという間に置いていかれる。そんな世界やった。
わいなんかはコンピュータが大好きやから、プライベートでプログラムを書くのも、全く趣味の範囲やった。気になる技術を触って、何か作って、動いたら喜ぶ。
それは苦痛ではなかった。むしろ、楽しかった。
ところが、生成AIが出てきてから、ちょっと景色が変わった。
3年ひと昔が、3ヶ月ひと昔になった
今のわいの体感では、もう「3ヶ月ひと昔」や。
3ヶ月前に覚えた使い方。頑張って組んだ手順。「こうやるのがええんや」と思っていたノウハウ。
それが、今日には新しい機能でまとめて置き換わっていたりする。
「ここは人間が準備せなあかん」と思っていた部分まで、AIがそのままやってくれる。「この作業はまだ苦手やな」と思っていたことが、次に触ったら普通にできている。
コンピュータの基礎や、積み上げてきた経験は使える。それでも、道具の使い方や任せ方の正解が動くスピードには、正直びびる。
勉強して、分かって、仕事で使えるようになる。
その一周が終わる前に、次の景色が来る感じや。
そのうち、3マイクロ秒ひと昔になるんちゃうか
これが、ますます加速したらどうなるんやろ。
3ヶ月ひと昔。
3週間ひと昔。
3日ひと昔。
3時間ひと昔。
3秒ひと昔。
3マイクロ秒ひと昔。
……もう、ひと昔を思い出してる間に次のひと昔が終わるやん。
もちろん、これは更新周期を計算した予測やなくて、わいが感じている加速を極端に言った比喩や。
でも、AIが開発を手伝い、その成果で次のAIや仕組みができて、さらに開発が速くなる。そんな循環が強まったら、人間が勉強して追いつく速度を超えてしまうんちゃうか。
わいが想像するシンギュラリティって、こういう「人間の理解と適応が、変化に追いつかなくなる感覚」と重なる。
ある日突然、未来への扉が開くというより、気づいたら昨日の常識が遠い昔になっている。そんなふうに進んでいくんかもしれん。
これは、ITエンジニアだけの話やない
さらに気になるのは、この変化がわしらITエンジニアの業界だけでは済まんことや。
みずほが、営業や事務の人たちを、数千人規模でAI開発人材へ転換するという。
銀行員も、まとめてAIエンジニアになる時代や。
ちょっと待ってくれ。銀行員まで、そっち側に来るんか。
営業や事務の仕事をしていた人が、自分の業務を知っている強みを持ったまま、AIで仕組みを作る側へ回る。
「システムはIT部門に頼むもの」という境界が、変わっていく。
わいは、これを見て思う。
1億総AIエンジニアの時代なんや。
営業も、事務も、企画も。職種の名札を付けたまま、みんなAIに仕事をさせる側へ回ってくる。
わしらだけで「AIの進化、早すぎるやろ」って騒いでる場合やない。
作れる人は増える。その先も、みんな働けるんか
AIのおかげで、今まで作れなかった人も作れるようになる。
これは、ほんまに面白い。自分のアイデアを形にする人が増えるのは、楽しみでもある。
ただ、その一方で考えてしまう。
作れる人が増えて、一人ができる仕事の量も増えて、AI自身もどんどん仕事を進めるようになったら、その先に人間向けの仕事はどれだけ残るんやろ。
全員がAIを使えるようになることと、全員が十分な報酬を得られることは、それぞれ考えなあかん。
変化に対応できる人は活躍する。でも、その対応の速さ自体が、さらに速い変化を生むとしたら。
わいは今、その面白さと怖さを、同時に感じている。
ハイインカムの未来と、人間が働くという前提
イーロン・マスク氏は、AIによって人間が働かなくてもよくなり、最低限の所得を超える「ユニバーサル・ハイインカム」の未来が来るという見方を語っている。例えば、2023年のスナク英首相との対談でも、その考えが報じられている。
わいも、AIが働いて豊かさを生み、人間は今ほど労働せずに暮らせる時代は、いずれ来ると思っている。
ただ、それを実現するには、作れる豊かさが増えるのに合わせて、人間がそれを受け取る仕組みも整わなあかん。
資本主義と共産主義を比べて、「資本主義が勝った」と語られてきた。わい自身も、資本主義を土台にした社会で働き、給料をもらって生きてきた。
そこには、資本を持つ人がいて、労働を提供する人がいて、人間が働くことで生産やサービスが回る、という前提があったように思う。
その「人間が働く」という前提が、大きく変わったらどうなるんやろ。
AIやロボットが多くを生み出す世界で、その利益は誰に入るんか。設備やAIを持っている人と、それまで労働を売って生きていた人の間を、どうつなぐんか。
これは、今までの勝ち負けの延長だけでは考えきれん気がする。
未来の豊かさが来るまで、今日の生活は待ってくれへん
そして、いちばん気になるのは、そこへ着くまでの移行期や。
将来はみんな豊かになります。働かなくても暮らせるようになります。
そうなったら、ぜひそうしてほしい。
でも、その仕組みが整うまでは、わいらは働いて報酬を得ないと生活できん。家賃も、食費も、来月の支払いもある。
「未来では豊かです」と言われても、今日のメシは今日いるんや。
技術が3ヶ月、3週間、3日で景色を変えていくとして、雇用や教育、所得を支える制度は、その速さについていけるんやろか。
AIが仕事を変えるスピードと、社会が人の暮らしを支え直すスピード。その間に、大きな隙間ができたらどうなるんか。
その隙間を、「各自、自己啓発して生き残ってください」で渡りきれるんやろか。
コンピュータが好きで、プライベートでも触ってきたわいですら、そんなことを考える。
技術の進化は面白い。もっと見たいし、もっと使いたい。自分でも、まだまだ何かを作りたい。
その気持ちと、「わいら、この移行期をちゃんと生き残れるんか」という不安が、同じ頭の中にある。
社会の移行は、技術の移行に追いつくのか。
そして、わいらは生き残れるのか。
酒を飲みながら、そんなことを考えている。🦌🥷