MS-DOSから生成AIへ。今度は僕たちが淘汰される時代がやってきた
僕たちが社会人になった頃、まだMS-DOSの時代だった
今さらながら、ふと思うことがある。
僕たちが社会人になった頃、世の中はまだMS-DOSの時代だった。
8インチのフロッピーディスクだって、まだ現役で使われていた。
今の若いエンジニアからしたら、もはや歴史の教科書に出てくるような話かもしれない。
そんな時代に、Windows 95が登場した。
そして、インターネットという、とんでもない魔物が現れた。
当時のインターネットといえば、電話回線を使ったダイヤルアップ接続。
「ピー、ガガガガ……」
あの独特の接続音を聞きながら、インターネットにつながるのを待っていた時代だ。
今のように、いつでもネットにつながっているのが当たり前ではなかった。
ところが、そこからの変化が凄まじかった。
ほんの数年でインターネットの常時接続が広がり、Googleのような検索エンジンも登場した。
情報の探し方が根本から変わってしまったのだ。
「ググレカス」という言葉が生まれた時代
インターネットが普及すると、仕事のやり方も大きく変わった。
それまでは、分からないことがあれば先輩に聞く。マニュアルを探す。専門書を調べる。
そんなことをしていた。
ところが、Googleで検索すれば、かなりの情報が自分で手に入るようになった。
そして、いつしかこんな言葉が生まれた。
「ググレカス」
Googleで調べれば分かることを、わざわざ人に質問するな。
乱暴な言葉ではあるけれど、当時のインターネットがもたらした価値観の変化を、実によく表していたと思う。
「情報を持っている人間」が強かった時代から、「情報を自分で探せる人間」が強い時代へ。
それは、仕事における能力の評価基準が変わった瞬間でもあった。
それでも、変化についていけないオヤジたちは生き残った
一方で、当時の会社には、そんな変化についていけない人たちも大勢いた。
特に、いわゆるJTC(Japanese Traditional Company、日本の伝統的大企業)では、そうだったように思う。
新しい技術を覚えようともせず、パソコンもインターネットもろくに使えない。
毎日、部長席で日経新聞を読んでいる。
傍から見れば、いったい何の仕事をしているのか分からない。
そんなオヤジたちがいた。
もちろん、全員がそうだったわけではない。
ただ、僕の目には、時代の変化についていけなくても、組織の中で生き残れてしまう人たちが確かに存在していた。
そして、重要なのはここだ。
彼らは、別にクビにならなかった。
新しい技術を使えなくても、役職や年功序列に守られ、会社員として生きていけた。
それが、僕の見てきたJTCの歴史の一面だったと思う。
そして2026年。今度は生成AIという魔物が現れた
時代は流れ、2026年。
今、僕たちの目の前には、生成AIという新しい魔物が現れている。
ChatGPT、Claude、Codex。
少し前まで、AIといえば質問に答えてくれる便利なチャットツールという印象が強かった。
ところが、今は違う。
要件を整理し、設計を考え、ソースコードを書き、テストを実行し、問題を調査する。
かつて人間が何時間もかけていた作業を、AIが驚くような速度でこなしてしまう。
もちろん、AIが出した結果を検証する能力は必要だし、何もかも任せられるわけではない。
それでも、実際にClaudeやCodexを使って仕事をしていると、強烈に感じることがある。
「これ、もうAIを使える人間と使えない人間では、仕事の生産性がまったく違う世界になってしまったんじゃないか?」
単に仕事が少し楽になるとか、効率が何割か改善するとか、そんなレベルの話ではなくなってきた。
仕事の進め方そのものが変わろうとしている。
「ググレカス」の次は何になるんだろう?
かつて、インターネットを使って自分で調べない人間に対して「ググレカス」という言葉が生まれた。
ならば、生成AI時代にも、似たような言葉が生まれてもおかしくない。
例えば、
「チャプレカス」
ChatGPTに聞けばいいことを、いつまでも人に質問している人間。
あるいは、
「クロードでやれよ」
Claudeを使えばあっという間に終わる作業を、延々と手作業で続けている人間。
まあ、こんな言葉が本当に定着するかどうかは分からない(笑)。
ただ、言いたいことは伝わると思う。
かつて「Googleで調べる」という行為が当たり前になったように、これからは「まずAIにやらせてみる」という行為が当たり前になるのではないか。
そして、その変化についていけない人間は、仕事の現場でどんどん不利になっていく。
僕は、そう感じている。
今度は、僕たちが淘汰される側になった
ここで、ふと気づく。
Windows 95が登場した頃、僕たちは若かった。
新しい技術を面白がり、インターネットを覚え、パソコンを使えない上の世代を見ていた。
「なんで、こんな便利なものを使わへんのやろ?」
そんなことを思っていた。
ところが、今はどうだろう。
僕たちは、もう50代になった。
そして、生成AIという新しい技術が登場した。
今度は、僕たち自身が淘汰される側の年齢になったのだ。
これは、なかなか恐ろしい話だと思う。
かつて自分たちが見ていた、変化についていけないオヤジたち。
気がつけば、自分自身がその立場になりかねない。
しかも、今回の変化は、インターネットの普及以上に速いかもしれない。
昨日まで最先端だった使い方が、数か月後には古くなっている。
そんな世界だ。
だから、僕たちは必死についていこうとしている
正直なところ、50代になってから、次々と登場する新しい技術を追いかけるのは楽ではない。
新しいサービスが出れば試してみる。
Claudeを使い、Codexを使い、何ができるのかを確かめる。
昨日までの自分の仕事のやり方が、今日には通用しなくなっているかもしれない。
それでも、僕はこの変化についていきたい。
単に流行に乗りたいからではない。
技術者として、これからも仕事を続けていきたいからだ。
そして、もう一つ。
やっぱり、新しい技術は面白い。
MS-DOSからWindowsへ。
パソコン通信からインターネットへ。
検索エンジンから生成AIへ。
僕たちは、コンピューターの世界が何度も劇的に変わる瞬間を見てきた。
そして今、また新しい転換点に立っている。
かつて、変化についていけないオヤジたちを眺めていた僕たちが、今度は試される番になった。
この先、AIを使えない人が本当に仕事を失うのか、それとも昔のJTCのように組織の中で生き残れるのか。
それは、まだ分からない。
でも、少なくとも僕自身は、後者に甘えるつもりはない。
50代。今さらではなく、今だからこそ、新しい技術を必死に追いかける。
それが、MS-DOSの時代から生きてきた、一人のIT技術者としての現在地なのだと思う。